◯占守島の生活

占守島の生活

 

白瀬たちの占守島の生活は食糧の確保と寒さとの闘いでした。

翌年の(明治28年)3月には食料も乏しくなり、体力は衰弱し、6人のうち次から次へ壊血病で亡くなり、その遺体の傍で生活するという悲惨な日々が続ききます。

5月には白瀬と2人の隊員だけとなりました。

皮肉にも座礁した密猟船から食料を分けてもらい助けられるのですが、密漁船の船長は白瀬たちの穴居生活を見て、これでも人間として生きていけるのかと思うほど悲惨なものでした。

白瀬が家族の居る仙台に帰ったのは日清戦争の終わった明治28年の秋(10月)。

実家の浄蓮寺では死亡したものと思い、妻ヤスに子どもは寺の方で 引き取るから貴女は再婚しなさいと、勧めたそうですが、「私は子どもをしっかり育て夫を待ちます」と言い切ったそうです。

明治の女性の強さを感じさせま す。

白瀬の探検を支えたのは良妻賢母のヤスの存在を欠かすことはできません。

陰の功労者と言ってもよいでしょう。

 

文責:佐藤 忠悦(NPO法人白瀬南極探検100周年記念会 監事)

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