□ 白瀬の生涯

◯北極から南極へ

北極から南極へ

白瀬は前に述べたように、北極探検を目指しておりました。

ところが明治42年9月アメリカのピアリーが北極点踏破に成功したというニュースが飛び込んできます。

これまで北極探検を志して体を鍛え、佐々木節斎の五訓を守り、郡司大尉の千島探検にも加わり極寒の経験を積み、いざこれからだという矢先であっただけに白瀬にとって大きなショックでした。

しばらくは茫然自失の日々が続いたといいます。

気を取り直した白瀬は、「北極がダメなら南極がある」文字通り目標を180度転換し南極を目指すことにします。

南極大陸イメージ1

飽くなき極地への挑戦です。

白瀬は48歳になっていました。

当時の平均寿命が50歳そこそこと考えると、旺盛な精神力に驚かされます。

探検家の要素である強靭な体力と精神力、それに負けず嫌いの性格は少なからず、両親から受け継いだにしろ、それを育てた環境を無視することはできません。

白瀬の生まれ育った当時の金浦は、東北の寂しい寒村そのものでした。

特に冬の日本海は怒涛逆巻き、波の花が飛び散る厳しい光景が見られます。

白瀬は自叙伝の中で「前には日本海の怒涛を聞き、後ろに狐や狼の声を聞きながら育てられた私は、いつの間にか物に動ぜぬ気性と艱難に打ち勝つ意志の強さを授けられた」と言っております。

また「自分は、人が鍬や鎌で雑草を切り揃えた跡を、何の苦労もなく坦々として行くのは大嫌いだ。蛇が出ようが、熊が出ようが、前人未到(ぜんじんみとう)の堺(さかい)を跋渉(ばっしょう)したい」

白瀬の探検家としての素地はこのようなところにあったといってもよいでしょう。

また寺子屋の先生佐々木節斎の話に刺激されたことも一因であったことは言うまでもありません。

文責:佐藤 忠悦(NPO法人白瀬南極探検100周年記念会 監事)

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