◯後援会の設立

後援会の設立

 政府が補助金の交付をしなかった理由はいろいろありますが、当時(明治35)イギリスと日本は日英軍事同盟を結んでおりました。

このことはイギリ スの派遣するスコット隊と競争になることが、外交上好ましくないと考えたからといわれております。

日露戦争で莫大な戦費を費やした事も理由でしょう。

しか し、それよりも政府の理解と認識がなかったことが一番の大きな理由であったと推察されます。

そこで白瀬は有志と後援会を設立し、広く国民から義捐金を集めることにしたのです。

後援会長になったのが早稲田大学の創設者大隈重信伯爵でした。

 

大隅は白瀬と会って経歴を聞き、この意気、この体力があれば素志を果たすことができるだろうと判断します。

そして西洋文明の今日あるのは、科学の発達と冒険により未開の富を開拓したことをあげ、この探検が国民の精神に大きく影響し、勇敢なる気性を鼓舞するだろうと述べています。

大隈伯爵が後援会長になったとたんに南極探検の熱は盛り上がり全国に広がります。

演説会があると長蛇の列ができるほどでした。

 

当時、南極を目指していたのは白瀬(49)だけではありません。

イギリスのロバート・ファルコン・スコット(43)。

ノルウェーのロアルド・アムンセン(41)です。

スコット大尉は2度目の南極挑戦でした。

文責:佐藤 忠悦(NPO法人白瀬南極探検100周年記念会 監事)

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