□ 白瀬の生涯

◯アムンセンとの会見

アムンセンとの会見

 昭和2年6月、報知新聞社の招きでアムンセンが来日し、白瀬と会見しますが、貧困のどん底の白瀬は、洗いざらしの浴衣(ゆかた)にその日やっと手に入れた夏羽織の姿だったといいます。正に「赤貧洗うが如し」でありました。

アムンセンは「おお開南丸 開南丸」と手を差しのべましたが、白瀬の目にはうっすらと涙が浮かんでいました。

当時の心境を

「恵まれぬ 我が日の本の探検家、パンを求めて処々転々」

と白瀬は詠んでいます。

 

昭和10年、借金をほぼ返済しますが、その後も生活は楽ではありませんでした。

昭和19年8月に、生まれ故郷金浦を終(つい)の棲家(すみか)として帰ってきますが、翌年の9月に家族会議と称して埼玉県片山村に行き、二度と金浦に戻ってくることはありませんでした。

 

昭和21年9月4日、波乱万丈の生涯を愛知県挙母町、現在の豊田市で閉じます。

辞世の歌は

「我なくも 必ず捜せ南極の 地中の宝世にいだすまで」

 

また、開南丸は探検後、元の報效義会に買い戻されますが、大正4年の秋、千島から台湾に鮭を輸送した帰りに、紀州沖で座礁し沈没しています。開南丸もわずか4年半の波乱に満ちた終焉でした。

 

文責:佐藤 忠悦(NPO法人白瀬南極探検100周年記念会 監事)

◯アムンセンとの会見”への1件のコメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.