◯資金と用船で苦労

資金と用船で苦労

白瀬は資金不足もさることながら、最後の最後まで苦労したのが探険船です。

このことが、出航を遅らせた大きな原因となったのです。

最初海軍の軍艦「磐城(ばんじょう)」を予定していたのですが、海軍の方から修理に莫大な金がかかると言われ諦めざるをえませんでした。

 

しかし、これは海軍で所有している軍艦を陸軍の白瀬中尉に貸与することはまかりならぬという話もあったといいます。

当時陸軍と海軍は、確執が深く、山県有朋は長州を中心とした陸軍の軍閥を築きあげ、海軍には幕臣が多かったこともその原因であろうと思います。

それを裏付けるように海軍大臣と同次官は白瀬の南極探検に賛同しておらず、冷ややかな態度でした。

そしてやっと決まったのが郡司大尉の「報效義会」が所有する「第二報效丸(だいにほうこうまる)」という199トンの木造帆船の漁船です。

 

 

文責:佐藤 忠悦(NPO法人白瀬南極探検100周年記念会 監事)

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