◆1876明治9年《15歳》

  • 母マキエの実家である山形に正徳寺へ転校します。

  • 通っていた宮内小学校で全校生徒150人と決闘です。

★知教は、母マキヱの生家(羽前米沢東置賜宮内町:山形県南陽市宮内)の『正徳寺』に見習い小僧として預けられ、小教所に通う傍、修行させられます。

★『同級生の一人、吉次郎という町内有力者の子供と雪玉を握り、その硬さ比べをしたところ、私が負けたので、腹たちまぎれに吉次郎の雪玉を踏みにじり、つぶしてしまった。

★怒った吉次郎は校内から百数十人の生徒のほか、町の不良青年らを集め、下校途中の私を待ち伏せして、たたきのめす計画を立てた。このことを内通してくれる者がいたので、私はまんまと彼らの餌食になるのはたまらない。

★非常手段に訴えてでも血路を開こうと肥後守(ひごのかみ:ナイフ)を頭上にかざしながら脱兎のごとく校舎を飛び出し、彼らの中に身を投じた。だが、多勢に無勢、肥後守を縦横無尽に振り回して2、3人に傷を負わせたものの、私の方も棍棒や投石でやられ、あたりは血に染まった。

★ちょうどその時、私の帰宅が遅いのを心配した伯父の二男と作男が通りかかり、私を後ろから抱きすくめて肥後守をもぎとった。その間に、吉次郎とその応援者たちはクモの子を散らすように逃げていった。

★私は2人によって付近の山田医師の所へ連れて行かれ、手当をしてもらった。棍棒で脳天と腰をやられ、いささか大きな打撲傷を負っただけで、あとは軽い擦り傷だけだった。

★翌日、頭と両手に包帯をして登校したため事件が明らかになり、私も相手方も始末書をとられたうえ、厳しく説諭されて「一件落着」ということになった。』

★天罰で赤痢にかかるも、熟し柿を腹一杯食って全快してしまった。

 

  • 正徳寺の近くの少女に恋し、将来を誓い合う「初恋」を経験します。

★『バンカラ少年なのだが、きわめて早熟な情熱家でありました。二人の恋は結ばれることがなく、10年後、知教は仙台で菅原やすと結婚します。

★はるかな後年、若い日の知教が恋をした少女の親戚が云うには「私どもは、あれ(少女のこと)が白瀬南極探検隊長の元許嫁(もといいなずけ)であったことを誇りに思っています」。

★ちなみに、この少女はのちに看護婦となり、生涯独身を通して亡くなられたと言います。』

 

  • 4月28日、佐々木節斎が死去しました。(44歳:病死)

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