しらせクイズ2018【第8問】Kids[No.5]

白瀬矗は南緯80度05分、西経156度37分の場所は何と名付けたか?

(明治45年白瀬51歳)


明治45年1月20日正午。突進隊は、2台のソリで極点方向へ出発します!

突進隊、前のソリには、白瀬中尉、武田学術部長、花守と15頭の犬です。

後ろのソリは、三井所衛生部長、山辺と13頭の犬です。

服装は、シャツ2枚、ズボン下1枚、その上に隊服、防寒帽、雪メガネ、耳あて、毛皮オーバー、足にはカンジキ付き毛皮靴、それに六尺棒です。

南進を開始。3回も転覆し荷が重すぎて、45kgほど下ろしました。

  • 1月20日。走破距離、15.0 km
  • 1月21日。走破距離、15.2 km

突進隊、大風雪、マイナス30度。

  • 1月22日。走破距離、25.3 km

突進隊、犬が進まずやむを得ず休憩、防寒服とか食糧(9日分)など140kgほどの荷を下ろしました。
前進する距離が制約されたのです。

  • 1月23日。走破距離、35.3 km(氷点下22度)

突進隊、すごいブリザード。3時間前進するが疲労の極に達しました。

午後8時45分、露営の天幕張って暖かい鯛味噌の味噌汁に人心地とりもどしたのです。

  • 1月24日。走破距離、38.0 km

突進隊、ソリがひっくり返り、武田部長のコンパスの安全枠が外れ故障してしまいました。
「コンパスがなければ、行くも帰るもできなくなる。」 武田は修繕しましたが手が凍傷にかかってしまいました。
マイナス22度でありました。

  • 1月25日。走破距離、34.0 km(氷点下25度)

突進隊は正午に出発します。
突然のブリザードに後隊の先頭犬がソリ跡を見失ってしまい、前隊と後隊がはぐれてしまいます。
かすかに残るソリ跡を見つけ、三井所が先頭に立って犬たちを誘導し前進したのです。
前隊の犬の糞や凍傷で出血した血痕を発見し、それを追って合流することができました。

  • 1月26日。走破距離、22.4 km

突進隊、吹雪はつづきました。
食糧も少なくなってきたので、今日と明日の両日のうちにできるだけ南進して引き返すことにしました。

  • 1月27日。走破距離、93.5 km

突進隊、26時間にわたる大吹雪で、その間、飲まず食わず。
(中略)
もっともよく働いた犬が右前脚の凍傷で引きずられていきます。
あえぎにあえいで前進を強行した末、ソリの進行を止めたのは翌28日の午前零時30分でありました。

強行南進。(犬ぞりの1日走破距離としては南極新記録)

  • 1月28日午前零時30分。走破距離、4 km(合計282.7km)

氷点下20度前後の厳しい寒気とブリザードが吹き荒れます。

晴れた日には「雪盲病」にやられます。

人も犬も体力の限界まで走ってはテントを張ってごろ寝し、覚めてはまた走ったのです。

犬が疲れだし、食料も減っていく状況になります。

白瀬は大きな決断を迫られます。
それは「いつどこで引き返すか!」でありました。

「はや食料は尽きつつある。昨日(1月27日)のうちにも後方に出発しなければならぬところを強引の決行だったのだ。この上の突進は全員の死を意味する・・・」(岡田三郎著「開拓者・白瀬中尉」(昭和18年、東京・鶴書房刊))より

9日間の282kmは「秋田〜新津」の距離に当たります。

  • 1月28日午後零時20分、
    白瀬は、大和雪原(やまとゆきはら)と命名しました!

探検隊の5名はそこで野営し、午前11時に起床します。
正午に武田輝太郎学術部長が緯度を観測。
南緯80度5分、西経156度37分とわかりました。

「一行はこの地を最終点としました。それはこの隊の主たる目的なる学理上の観測をほぼなし得たと考えたからである。」

「ここにおいてまず天幕の傍らに穴を掘り、携え来たれる寄金者芳名簿(約1万人)を入れし銅製の箱を埋め、その傍らに一間ばかり(約2m)の竹竿を立て、その上にかねて用意の大国旗をひるがえし、さらにこの隣に赤ペンキを塗ったる三角形ブリキ製の回転旗を立て、それらの旗の下に突進隊全員が整列した。このとき、白瀬隊長は国旗のもとに厳かに一同、同情者(寄金者)諸士に感謝する旨の式辞を述べ、謹んで陛下の万歳を三唱し奉った。(中略)隊長、はこの露営地を中心とした目の届く限り渺茫際なき大雪原に【大和雪原(やまとゆきはら)】と命名した。「この大和雪原を日本領土とする」と宣言、「万歳」を三唱して“占領式”を終えた。時に午後零時20分であった。その間、三井所部長はこの荘厳なる光景の撮影をなした」

南緯80度を超えた探検隊は、アムンゼン、スコット、シャクルトン、そして白瀬の4隊しかないのです。

「小憩の後、最終点を出発したのは午後2時30分であった。道すがら幾度となく最終点を振り向いてみると、国旗はへんぽんと極風にひるがえり、その真紅の色はガイガイたる千古不滅の氷雪に映発して壮観無比であった。ああ、大和雪原よ!今より以後、千歳万歳、地球の存続せん限り永遠にわが国の領土として栄えよ。願わくば、光栄あれー中尉の宣言と祝福の言葉は地のはてより吹き荒ぶ極南の烈風の中にひとしお冴え冴えて余韻を残してようやく終わった。中尉の体も氷原に凍てついたかのように動かない。その胸中には万斛の思いが渦巻いていたに違いない(後略)」

  • 1月29日。走破距離、97km

大和雪原に別れを告げた白瀬ら5人は、往路基地から大和雪原までの282.7km9日間かかった道のりを、復路わずか3日間で走破し、村松進と吉野義忠が待つホエール湾根拠地に戻りました。

「病犬が血を吐き、血痕が点々と雪を染めた・・・」

1日に80kmから97kmの強行軍でした。

1月31日午前5時50分、基地に到着します。

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